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8月斎行祭典の御報告

【古御嶽神社・山内神社 例祭を御斎行】
去る8月17日、当社の境外末社として富士山須走口五合目に鎮座する古御嶽神社にて、同社と同社に合祀される(四合目より合祀の)御室浅間神社、(二合目より合祀の)雲霧神社の例祭を斎行した。
国家繁栄・皇室弥栄とともに、須走口登山道に関わる山小屋様や登山者の皆様の安全や隆昌を祈念する祭典である。
又、遥拝形式ではあるが、六合目鎮座・胎内神社、九合目鎮座・迎久須志之神社の例祭も斎行した。この2社の総称として、山内神社が用いられている。
この合同例祭は毎年斎行されるものであり、昨年は大雨の影響もあり社務所講堂からの遥拝となったが、本年は天候に恵まれ、現地での斎行となった。
来賓には、須走地区の関係団体のほか、須走口の山小屋の方(距離の都合から、六合目から下に限る)や山内組合様の御参列を戴く。

古御嶽神社はじめ登山道に関する神社の創建の詳細は不明だが、江戸時代に発行された版画絵図には紹介がされており、少なくとも江戸時代には存在していた。
一時期は各神社に神職などが詰めて登山者等の応対を行っていたが、現在では神社が直接関わっているのは九合目・迎久須志之神社だけである。
ただ、こちらも登山道の崩落や建物の破損等により、約10年前より閉鎖を余儀なくされており、再建の話が挙がっているものの、行政側により登山道整備が行われないことには工事が進めらないという状況にある。

又、五合目・古御嶽神社については、菊屋様・東富士山山荘様に隔年で当番・管理を依頼し、六合目・胎内神社については瀬戸館様に管理を依頼している。

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【閉山奉告祭・神恩感謝祭 御斎行】
去る8月31日、当社神職により、元々の閉山日・閉山式の日であるこの日に、山仕舞いを報告する閉山奉告祭を、また7月1日に斎行した不二短冊に掛かる心願成就祭を受ける、願い事の成就への感謝・これからの願い事の成就を祈念する神恩感謝祭を合わせて斎行した。

尚、不二短冊は、心願成就祭の後に七夕までは社殿前の竹笹に吊るし、翌日からは社殿欄干廻りに吊るし、神様に近いところにお供えした。
合わせて、8月30日までは不二短冊を募集し、新たに奉献されたものについては朝拝(日供祭)とともにお祓いした後、ほかの短冊と合わせて吊下げた。
又、この朝拝の際には新しい短冊の有無に関わらず、現在奉献されている短冊すべての心願成就を、毎日祝詞にて祈願奏上した。そのことを改めて、この場にて報告させて頂く。

閉山奉告祭は開山奉告祭に、神恩感謝祭は心願成就祭に対を成す祭典であり、須走口本来の開山日7月1日・閉山日8月31日の文化伝統を後世に継ぐべく斎行する祭典であり、合わせて七夕や須走口の象徴文字・不二にあやかって短冊を奉納する祭典も斎行している。いずれも本年で4回目となり、転じて伝統の日が軽んじられて4年目ということもである。

神社に限らず、古来より続く文化・伝統には、なぜその日に行われるのか、なぜそのような内容なのか、ちゃんとした意味が込められている。中には現代社会を鑑み、規模縮小や停止、日にちの変更などがしばしば行われている。
確かにどうしても仕方ない場合もあるだろうが、先人の努力と歴史の積み重ねを尊重して頂き、皆様方の地域にある文化の護持存続にお力添え頂ければ幸いである。

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7月斎行祭典の御案内

【開山奉告祭・心願成就祭 御斎行】
去る7月1日、富士山須走口本来かつ旧来の開山日であるこの日には、氏子総代・地元小中学校御代表の参列の下、開山奉告祭、合わせ、心願成就祭を斎行した。

開山奉告祭は、10日に控えた開山に際し、神様にその奉告を行い、登山者や山小屋の開山期間中の安全無事を前もって祈念する祭典である。
内容としては、開山式と重複するが、本来の開山式であるこの日に同様の祭儀を行うことで、神社の地域や歴史的役割である文化・伝統の護持を実践した。
合わせて斎行する心願成就祭は、本年で3回目の斎行となる。
開山奉告祭また七夕に合わせ行う祭典であり、縁起の佳い五色の布短冊に、不二=二つと無い、いま自身が一番に頑張りたいことを記入し、それを神前で祓い祈願する祭典である。
事前に、社殿前の竹笹には、地元保育園・幼稚園の園児らが自分たちで短冊を吊るし、小中学校の児童生徒については参列した御代表が当日に全校の人数分の短冊を持参した。

本年は、富士講の流れを汲む「冨士教」様にも御参列・御協力を賜り、参進の際には法螺貝・奉唱が行われ、神事に更なる厳かさを添えて頂いた。
この場をお借りして、改めて深く感謝を申し上げる次第である。

祭典終了後に、神社職員の手によって竹笹へ吊るす。
七夕の翌日(7月8日)以降には、社殿欄干廻りに吊るし場所を変え、8月31日=本来の閉山日まで神前に供えている。
尚、不二短冊は8月30日まで社務所・休憩所にて初穂料100円にて頒布しているので、興味のある方にはぜひ御覧頂きたい。

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【富士山須走口開山式 御斎行】
去る7月10日には、小山町観光協会主催により、多くの関係団体様御臨席の下、恙無く斎行した。
祭典の要旨は、先述の開山奉告祭に重複するので省略するが、登山に関連することの安全のための祭典である。

祭典は、神社祭式で言うところの中祭式に分類され、社殿内の扉を開けて執り行う祭典となる。
又、式次第では富士山遥拝があり、社殿内ではあるが、このときには神職・参列者は富士山の方角を向き、一礼=一拝を行うことが、1つの特徴である。

又、祭典の先立ち、「富士山まつり」として地元小学生で作られた富士山神輿や金管バンド、富士学校音楽隊など、パレードの催しも行われる。
これと合わせ、須走旅館組合では往年の富士講の恰好に扮し、パレードに同行する。
パレードは神社入り口前で終了となるが、富士講集団はそのまま境内を参進し、社殿前にて神職よりお祓いを受ける。これも富士講さながらのものである。
この後は、富士山須走口五合目・古御嶽神社まで移動・参拝をして終了となる。

各登山道ではそれぞれ違う内容の開山式・開山行事が行われているので、ぜひ見比べて頂きたい。

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6月斎行祭典の御報告


去る6月30日には、1年の上半期のうちに、人が知らず知らずのうちに積み重ねた罪穢れを祓う神事・夏越大祓を執り行いました。
当社では夏越大祓と称しておりますが、神社によっては水無月大祓とも呼ばれます。
全国の神社で執り行われる、伝統の神事・祭典でございます。
この神事にあたり、前もって6月25日には氏子総代様・氏子青年会様に依りまして、萱を使って茅の輪を奉製し、この日から7月2日まで間、参道に設置をしておりました。

当社における夏越大祓は、関係者御参列の下、社殿にて祭典を行った後、茅の輪の前で人形神事、茅の輪潜り神事を行います。
当日はお足下が悪い中、また地元に方に大きく周知をしたわけではございませんが、多くの方に御参列頂きましたこと、改めて厚く御礼を申し上げます。
神事の前には、神職により大祓詞を奏上致します。この祝詞は、心身を清めるために奏上されるもので、神話における祓えの内容が綴られています。
その後、人形神事として、人形(ひとかた)という人の形を模した紙で全身を撫で回し、息を3回吹き掛けることで、自身の罪穢れを人形に遷します。そして切麻(きりぬさ)と呼ばれる散供品にて左・右・左を掴んで祓い(撒き)、掴んで祓い(撒き)を行い、罪穢れを移した後の心身を清めます。
そして人形は回収され、大祓詞の中にある「八針に取り辟(裂)きて」という言葉通りに、人形に被せた白布を八つ裂きにすることで、集約された罪穢れを八つ裂きにします。
次には、心身を改めて清め、下半期を無事に過ごせるよう祈念しつつ、茅の輪潜りを行います。
茅の輪は∞の字に潜る=左周りに3回潜り、終ります。
一般的には「蘇民将来」という言葉を用いますが、当社では富士講に倣い、「六根清浄・御山は晴天」と唱和しながら潜ることもしばしばあります。
茅の輪潜りを終えると、大祓詞の中にある「大海原に押し放つ事」という言葉通りに、表鳥居前にある滝に罪穢れが移された人形を放ることで、海へと押し流します。

以上を以て、大祓神事を執り納め、翌日・文月(7月1日)からの下半期・半年間を清々しくお迎えるすることになります。

尚、神社によっては多少式次第(内容)が異なることもございますので、そういった箇所も比べながら御参列されるのも楽しいものと存じます。
ぜひ機会がございましたら、皆様方のお住まいの氏神様や、心を寄せる崇敬神社にて大祓神事に参加されてみてはいかがでしょうか?

次は、師走大祓・年越大祓として、当社はじめ多くの神社様で12月31日に斎行致します。

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平成28年 冨士浅間神社例大祭の御報告

【冨士浅間神社 例大祭】
去る、皐月・5月4・5・6日には、当社の年間最大祭典のである、例大祭を斎行・開催した。
改めて、氏子の皆様より選任された25名の祭典委員の皆様はじめ、祭典に参加して頂いた地区の関係団体、生徒・児童の方々にも、神社職員一同、心より深く御礼を申し上げる次第である。誠にありがとうございました。

先ず、4日には前夜祭を午後6時から斎行した。
これは、本日である5日の天候や、参加する方々の安全無事を祈念する祭典である。
この際には、本日5日の早朝より地区中を神輿で練り歩く子供会や、神幸祭の折に富士山神輿を担ぐ青年団の代表なども参列し、担ぎ手の安全も共に祈念する。

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次に、5日・本日(ほんび)には、例大祭・本殿祭を午前10時より、例大祭・神幸祭を午後1時より斎行した。
本殿祭は、例大祭の間にいくつか行われる祭典の中でも最も重要なものであり、この祭典そのものが例大祭なのである。
須走地区はじめ小山町の各関係団体や、近隣の神社またその地区の御代表などにも参列を仰ぎ、社殿の中狭しという満席の中で祭典が行われる。
このときには、神職とともに、氏子の代表である神社氏子総代の当番により、伝供(でんく)と呼ばれる方々により、神饌(=神様へのお供え物)を御本殿の御扉の中まで運び入れ、供するのである。
又、当社には御本殿の扉は3つ、御祭神3柱それぞれの扉があり、例大祭のときのみ、すべての扉が開けられる。
本来の祭典であれば、神饌を供えたら、祝詞奏上・玉串拝礼の後に、神饌を撤することを行うが、この日は神幸祭が午後に控えていることから、撤することはしない。

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神幸祭は、例大祭の間にいくつか行われる祭典の中で、最も華やかかつ人目に触れるものであり、この須走地区最大の催し物の1つといっても過言では無いほどの賑わいを見せる。
陸上自衛隊富士学校音楽隊を先頭に頂き、祭典委員や神職・総代により神輿行列を組み、その後ろを地区の稚児行列、青年団や中学生による富士山神輿、須走小学校金管バンドなどが次々に隊伍を組んで、神社前の須走本通りを進んで行く。
折り返し地点にて御旅所祭と呼ばれる祭典を行い、休憩後に出発のための祭典をして再び神社に上がっていく。
復路では多少参加する団体は減っているが、それでも賑わいを見せて、神賑行事と呼ぶに相応しい様相を見せる。

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尚、本日の夕方からは、演芸の部と称して毎年舞台を設置・演芸が披露される。
今回は、神社大駐車場にトレーラーハウスを用意し、その前に椅子を配したり、少し離れたところに屋台の店舗を置いて、お集まり頂いた方々が見やすく、楽しめることを念頭に準備がなされた。
演芸も、手品や歌謡など幅広く行われ、多くの賑わいの声に包まれながら、終演を迎えた。

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最後に、6日の後日祭では、例大祭や神幸祭などが安全無事・無事故などで円滑に斎行・開催出来たことを感謝するとともに、今後とも祭典委員はじめ須走地区をお守り戴くよう祈念する祭典であり、例大祭最後の祭典となる。

この例大祭は、年によって微妙に内容が違う祭典であり、その塩梅は祭典委員による企画のためである。
皆様方に於かれては、そうした年毎の差異も楽しんで頂きながら、冨士浅間神社の例大祭に触れて頂きたい、そう思う次第である。

尚、本年は不慮の事態により、宮司不在での祭典斎行となり、禰宜が代わって斎主を務めさせて頂いた。
その関係から、不備な点も散在する形となり、当日御参列・御協力頂いた皆様方に対しては、何かとご迷惑をお掛けすることとなった。
最後に、この場をお借りして深くお詫びを申し上げる次第である。

5月斎行祭典の御報告(例大祭を除く)

【藤原光親卿慰霊祭=按察使(あぜち)祭 御斎行】
去る5月27日、静岡県と山梨県の県境、矢筈山・篭坂峠に於いて、鎌倉時代の公卿・藤原光親の495回目となる慰霊祭を現地付近にて、区長会主催・氏子会世話人により準備が進められ、小山町・須走の各関係団体様御参列の下、恙無く斎行された。
かつては、慰霊碑のある場所まで約30分をかけて登り、そこに祭壇等を設置して現地で斎行していたが、諸般の事情により少し前より慰霊碑から下った場所に築かれた石塔のある広場にて、現在は遥拝形式にて斎行している。
当日は予てより雨天の恐れがあったが、幸いにも雨は明け方までには上がり、問題無く現地で斎行することが出来た。この祭典は区長会主催ではあるが、地元の人が有志で加入する当社氏子会の会員が輪番にて世話人を担当することになり、本年も5名の方に御助力を頂いた。この場をお借りして、改めて深く感謝を申し上げる次第である。

藤原光親卿は、按察使と呼ばれる朝廷の官職に就いた方で、仕事の内容は主に地方行政の監督である。
卿が生きた時代は朝廷ではなく鎌倉幕府の治世であり、討幕を企てた後鳥羽上皇(いわゆる承久の乱)の側近の1人であった。
卿は討幕は時期尚早を諌言を申し出たが聞き入れられず、勅命(天皇からの命令)として当時の幕府最高権力者、執権・北条義時の追討のための宣旨を草案した。
尚、後にこの事実を知った義時公は、聡明な人柄なども合わせて、その死を深く嘆いたとされる。
承久の乱では幕府に敗北し、卿は捕えられる。その後、京都へ護送中に、矢筈山にて処断されたと伝えられる。
当時より地元の人によって厚く供養・慰霊がされ、その遺髪は小山町内のある寺院に納められいる。
明治期に地元有志により慰霊祭が執り行われることとなり、以後現在に至るまで5月27日を当り日として祭典が行われている。

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プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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