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藤原光親卿慰霊祭 御斎行

富士山東口本宮 冨士浅間神社でございます。
当神社では、以前紙面による社報を発行しておりましたが、諸事情により現在は発行しておりません。

しかしながら、現在内容を刷新しての発行準備を進めております。
今日日、神社の広報活動にはインターネットを通して様々な形態があり、当神社でもtwitter・facebookを中心に
情報発信をしております。ホームページも、6月中を目処に刷新しての公開を予定しております。

情報媒体が多くある中で、今回このようにブログを開設させて頂きました。
社報・twitter・facebookでは、祭事・行事などの端的な報告しか出来ませんが、
このブログにて詳細なども合わせて報告して、より一層当神社について興味などを持って頂ければと考えて
おりますので、今後ともぜひ宜しくお願い致します。

扨、早速祭典の御報告をさせて頂きます。

【按察使・権中納言 藤原光親卿慰霊祭 御斎行】


昨日5月27日、鎌倉時代の人物であります「藤原光親」なる人物の慰霊祭を、当神社の地区・須走地区の区長会主催にて御斎行致しました。

斎行に当たっては、当神社の氏子より毎年当番が回ってくる世話人4名と区長会を中心に準備が進められました。
実際、当日祭典を行う場所は下段と称されており、ここからさらに登ったところに上段・祠が存在します。
世話人により、前日までに上段下段の整備と準備が進められ、また当日の諸準備を以て祭典を斎行致します。

こうした世話人の御蔭を持ちまして、毎年滞ることなく「藤原光親卿慰霊祭」が御斎行されます。

祭典は、当神社の宮司が斎主を、権禰宜が祭員を務め、小山町長や須走地区区長会を始め関係諸団体代表者の御臨席を頂きまして、御斎行されます。
また、藤原卿の末裔の方も御臨席を頂くことがあり、本年はお忙しい中にお時間を頂きまして、末裔の方も御参列されました。

祭典は無事に終了し、その後の直会によって、藤原卿の遺徳を偲び献杯が行われました。

世話人の皆様、御参列頂きました皆様方、本当にお疲れ様でございました。

25.5.27 藤原光親卿慰霊祭


尚、この上段下段は一般の方でも立ち入ることが出来ます。道路の向かいに駐車スペースもございますので、
興味のある方はぜひ一度、お尋ねください。

【藤原光親とは?】

藤原光親卿は、1176~1221年の人物で、後鳥羽上皇の近臣でありました。
後鳥羽上皇により討幕の企て・承久の乱に際し、藤原卿は時期尚早として討幕の取りやめを進言しておりましたが、受け入れられず、結局は勅命として従わざるを得なくなり、当時の鎌倉幕府の中心・北条義時の討伐文を起草しました。

承久の乱では、朝廷は幕府に敗れ、藤原卿も幕府方に捕えられました。
そして、その移送中に駿河国・加古坂において斬られた。承久3年7月12日、享年46歳。

慰霊祭が行われる遺跡は、現在の篭坂峠に近い矢筈山に存在します。
明治20年に建立された石碑には「按察使権中納言藤原光親卿塚」と記されている。
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プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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