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富士山須走口 8.31閉山式・8.17山内神社例祭を御斎行

富士山須走口登山道・閉山式 御斎行

8月31日、須走口登山道の出発点となる富士山東口本宮 冨士浅間神社に於いて、小山町観光協会主催の須走口閉山式が斎行された。
当社の中祭式に当たる本妻では、氏子会長・小山町観光協会長を始め、小山町や須走地区の関係者およそ60名が参列した。

閉山式は、7月1日に斎行する「開山式」と対になる祭典である。
開山式では、山開きに際して、登山者や山小屋の方々等の安全無事と地元地区や関係者の隆昌・発展を祈念する祭典である。
対して、閉山式では2か月間の開山期における、登山者や山小屋の方々の無事故と平穏無事を神様に感謝し、合わせてこれからの地元地区や関係者の隆昌・発展を祈念する祭典である。

今年の開山は、富士山が世界文化遺産に登録されてから迎える初の開山期であり、当社を始め静岡・山梨両県の構成資産に於いても、その影響からか参拝者や観光客が増加傾向にあったと、報道では伝えられる。
当社においても、とくに土日の日中から午後4時くらいに掛けてに多くの参拝者が見受けられ、昨年と比べて2倍前後の増加ではないかと考えれる。
但し、具体的に統計していないため、あくまで所感である。

地元紙や町観光協会などによると、本年の須走口からの登山者は全体で3万8千人弱で、昨年より微増とされた。ちなみに、富士宮口は昨年並み、御殿場口は倍増、山梨側の2つの登山口は減少であるとされる。

尚、当社では開山時期には社殿前に「富士登山記念名簿」なる帳面を設置し、神社でお参りしてから登山をされる方々に記入を呼びかけている。
本年は、約830名(須走小学校・電通は除く)が記入され、昨年の約550名の1.5倍ほどとなった。
中には構成資産と知って来られた方もいれば、構成資産とは知らなかったが須走口の起点となる神社だから登山前にお参りに来たという方も見られ、昔ながらの伝統的な登山が今なお息づいていることが感じられた。
しかしながら、全体の登山者数を見れば1割にも満たない記入者数であることから、来年に向けての当社や登山についての周知活動が求められている。

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8月17日・山内神社の例祭を斎行。

去る8月17日、須走口五合目に鎮座する当社の境外末社・古御岳神社に於いて山内神社の例祭が斎行され、氏子役員・氏子青年会・地元関係団体のほか、須走口登山道にて山小屋業を営む方々の御参列の下、恙無く斎行された。

山内神社とは、須走口登山道に鎮座する当社の境外末社の総称である。五合目には古御岳神社が鎮座しこちらには二合目に鎮座していた雲霧神社と四合目に鎮座していた御室浅間神社が合祀されている。また、六合目には胎内神社が、九合目には迎久須志之神社が鎮座する。
これらの神社を総称して山内神社し、毎年8月17日を合同の例祭日としている。

この祭典では、地域や関係者の方々の隆昌と発展を祈るとともに、登山道の神社として登山者・登山道・山小屋の方々の安全を御祈念する。

尚、九合目の迎久須志之神社は富士山の厳しい環境や止むを得ない事情に依る閉鎖期間が長かったことから著しく荒廃しており、現在は建替えの準備が進められいる。

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富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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