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秋分に掛かる祭典と境外末社・野中神社例祭 御斎行

富士山・須走口登山道が8月31日に無事に閉山の運びとなり、迎えた9月には境外末社・野中神社の例祭と、秋分に際して当社に隣接する須走護国神社の秋分祭と、境内末社の1社・祖霊社の秋分祭・合祀祭、そして社殿にて秋分祭をそれぞれ斎行致しました。

9月6日 野中神社例祭

9月6日には、現在陸上自衛隊の演習場内に鎮座する境外末社・野中神社の例祭が、神社役員総代・地元関係団体等の約30名の御参列の下、諸事滞りなく斎行致しました。
また、この祭典では氏子会会員から輪番で世話人4名が指名・選出され、お手伝いを頂きまして、このお力添えもあり、無事に祭典が執り修められたことについて、改めてこの場をお借りして御礼を申し上げる次第であります。

野中神社は、明治維新での神仏分離令までは大日堂と称され、かつての登山者・修験道者が、当社・東口本宮 冨士浅間神社の次に、道中にて登山安全を祈念するほか、雨乞いなどの祈祷が行われていた場所でありました。
その場所は、山岳修行の山・富士山と、俗世界である村落(現・小山町須走地区、かつての須走村)との接点に位置しております。
大日堂時代には大日如来が安置されておりましたが、野中神社になった後から今に至るまで、オオヒルメムチノミコト(=天照大神)がお祀りされております。
また、野中神社の傍らには川が流れており、かつては須走村をはじめ小山町の一部の村落の水源地ともなっていたことから、野中神社境内には、その村の方々より寄進された灯籠が残されております。

この神社・大日堂の創建は記録が残されていないことから定かではありませんが、須走口・東口からの登山者があったことが記されている「妙法寺記」(明応9年・西暦1500年)には存在していた可能性があります。
江戸時代の貞享3年(1686年)には、大日堂が萱葺・長さと幅が三間の広さを持っていたと、史料に記されております。
また、その後の記録では元禄15年(1702年)に、大日堂は当社により管理が行われていたと資料には記されております。
そして、明治以降は野中神社として鎮座し、昭和53年(1978年)には解体整理が行われ、現在のお社・祠が建立されました。

尚、現在この野中神社は、陸上自衛隊の演習場内にあるために、神職や地元の方であっても自由に立ち入ることは出来ませんので、御注意願います。

H25 野中神社例祭



9月20日 須走護国神社秋分祭を御斎行

秋の彼岸入りをした9月20日、須走地区区長会・忠霊奉賛会主催により、御遺族・御来賓など約60名御参列の下、厳粛に御斎行致しました。
当社より宮司と権禰宜が奉仕し、式次第により推移したのち、遺族会会長の挨拶によって締め括り致しました。

須走護国神社は当社と隣り合うように鎮座しておりますが、当社の末社という関係ではなく、独立した神社となっております。お世話は区長会・忠霊奉賛会・遺族会によりされておりまして、祭典の折に当社より神主が御奉仕にお伺い致します。

護国神社には、大東亜戦争に散られました須走地区出身の英霊二十五柱の御霊がお祀りされております。須走護国神社だけでなく、各都道府県の護国神社、さらに靖国神社にはそうした英霊方が祀られておりまして、彼岸と終戦日には、今日の日本の発展は英霊や戦没者の計り知れない犠牲の上にあることを思い、感謝の誠をお捧げするべくお参り頂ければと存じます。


9月23日 祖霊社 秋分祭・合祀祭、神社 秋分祭 御斎行


彼岸の中日・秋分の日には、亡くなられた氏子方をお祀りする祖霊社に於きまして、秋分祭と合わせて、春の彼岸から秋の彼岸までに亡くなられた氏子を合祀する合祀祭を斎行致しました。
祭典には、御遺族と氏子会から輪番で指名される世話人の方々の御参列の下、滞りなく執り行われました。
この祭典では、新たに8柱の御霊が合祀されました。

また、神社においては秋分祭が社殿にて斎行致しました。
全国の神社で斎行・奉仕される秋分祭とは、御皇室の祭儀の1つであります「秋季皇霊祭」を起源と致しまして、同様に神々や祖先神に感謝と慰霊を申し上げる祭典であります。

H25 護国神社秋分祭

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富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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