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平成26年 冨士浅間神社 例大祭 御斎行

例大祭、前夜祭・本殿祭・神幸祭・後日祭を恙無く斎行

去る5月5日、当社で最も大きな祭典である例大祭が斎行され、前日の夕方6時には前夜祭が、後日の午前10時には後日祭もそれぞれ斎行された。

例大祭または例祭とは、神社の由緒や創建に関わるもっとも重要な日に斎行される祭典のことで、正式には大祭式例祭という。当社では、前夜祭・本殿祭・神幸祭・後日祭を例大祭の括りとしており、この中でもっとも重要なのは、本殿祭である。

当社の創建に関わる日は、延暦21(西暦802)年の富士山の東側の噴火の際に、神事・鎮火祭を斎行して噴火が収まった日である4月初申の日とされる。この4月が旧暦なのか西暦なのかは口伝・文献等に残らないため詳細は不明だが、かつては5月6日や7日にされており、現在の5日に移ったことは比較的最近のことである。

本殿祭では、神社の歴史と歩みに想いを致し、神様の大御稜威に感謝するとともに、須走地域と住民そして富士山の発展や隆昌を祈念する。
地元の関係団体はじめ行政や近隣神社関係者等、70名余の御参列を頂き、5日の本殿祭が午前10時より斎行され、無事に執り修められた。

残念ながら、正午前には天気が崩れてしまい、規模を縮小しての神幸祭(渡御・パレード)となった。
神幸祭は神様に地域を練り歩いて頂くことで、御稜威をより地元の方々に戴いてもらうなどの意味合いがあり、神賑行事つまり賑やかなに華やかにするために、当社ではパレードのような内容が組まれている。
午後1時前に御神輿へ神様をお遷しし、1時に出発。「豊年だ」という塩巻役の掛け声とともに、祭典委員長の拍子木が響き渡りながら、天狗や稚児行列、そして御神輿・山車が続いた。
雨ながらも沿道・須走本通りには地元の方々が見えられ、神幸祭をお祝いした。

御参集された皆様方には、改めて厚く御礼を申し上げたい。

規模縮小に伴い渡御の進行は予定よりも早く、御旅所による休憩を挟んで、午後3時過ぎには境内へと戻り、神様を御本殿へとお遷しした。

雨は勢いもなく、小雨という様相もあったことから、夜の部は当初の予定通り境内・社殿にて開催された。
参道には多くの出店が立ち並び、社殿に築かれた特設舞台にて、「坂本冬休みさんによるモノマネショー」と「西島三重子さんのライブ」が行われ、多くの賑わいの声の中で夜の部も盛況のうちに終了した。

5日のみ、生憎の天候となってしまったが、例大祭そのものは無事に諸祭典が執り修められ、成功を収めることとなった。神様も、無事に斎行されたことをお慶び頂いているものと存じる。

そして、中心となって運営に当たった氏子会の祭典委員をはじめ、多くの携わられた皆様方に、改めてこの場をお借りして、心より深く厚く感謝を申し上げる次第である。
本当にありがとうございました。お疲れ様でございました。

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プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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