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氏子青年会 広島研修紀行

去る2月7・8日、当社氏子青年会に於いて、毎年の研修事業の一環として広島方面へ1泊2日で行った。当社職員も1名随行として同伴させて頂いた。

行程のうち、主だったところは、1日目「原爆ドーム・平和記念公園」「厳島神社」、2日目「広島護国神社」「広島城」「大和ミュージアム」である。

1日目の原爆ドームは修繕・検査等の関係で足場などが組まれており、全容は残念ながらはっきりと見ることが出来なかった。
又、平和記念公園内の平和記念資料館においても、展示物の変更や改装が重なり、こちらも半分だけの見学となった。
しかしながら、公園内の諸施設についてはバスガイドさんのきめ細やかな御説明を頂き、理解と知識を深めることが出来た。

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次の宮島・厳島神社では、正式参拝を行った。拝殿にて修祓を受けた後、会長により玉串拝礼を行い、参加した会員がこれに列拝した。その前後では、禰宜様に境内各所や隣接する寺院や五重の塔などの御案内を頂いた。
当社・冨士浅間神社は、世界文化遺産「富士山」の構成資産として、文化遺産施設の末席に名を連ねている。訪れた「厳島神社」も世界文化遺産であるが、こちらは神社そのものが世界文化遺産である。
それが関係しているか否かは分からないが、神社を参拝する際に拝観料を納めるという形は新鮮であった。
厳島神社といえば、海に浮かぶ大鳥居が大変著名であり、ちょうど参拝した時間では干潮だったことから、歩いて鳥居まで行くことが可能であったものの、時間の都合で省くこととなった。

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2日目は先ず広島城・広島護国神社を訪れ、参拝・拝観した。
広島護国神社はかつての広島城の敷地の中にある形で鎮座され、広島城天守閣・本丸に行く前にお参りすることも出来る。
主に全国の都道府県に戦没者をお祀りする護国神社が鎮座するが、神社によっては祭神とする範囲が異なることがある。
この広島護国神社の場合は、広島県西部出身の英霊や広島原爆犠牲の動員学徒・女子挺身隊等が祭神として鎮座している。

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広島城の中は歴史的資料館となっており、多くの宝物などを拝観することが出来る。
中でも目を惹いたのは、企画展「お城と城下のトイレ事情~いざ参らん!ボットン便所へ~」である。近世のトイレの事情やトイレそのもの、関連資料等が展示されている。なかなか知り得ないことであり、面白く拝見させて頂いた。
最上階は展望台となっており、四方の広島の風景を楽しむことが出来た。

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次に訪れたのは、呉市・大和ミュージアムである。
造船の街として名高い呉市にある、正式名称は呉市海軍歴史資料館、通称を大和ミュージアムとして地元だけでなく全国から親しまれている場所である。
大日本帝国海軍の歴史や、海軍艦艇の建造に関する資料などが数多く展示されており、中には1/10スケールの戦艦大和や、原寸大・零式艦上戦闘機(62型)なども展示されていたり、30分に亘る映像なども放映されている。
1時間ほど拝観する時間があったものの、残念ながら展示物の豊富さに時間が足りず、また改めて別の機会に見学したいと思った次第である。
続いて訪れたのは、海上自衛隊呉史料館、通称・てつのくじら館である。
こちらには海上自衛隊の歴史に関する史料が多く展示されており、とくに機雷を除去する掃海艇や潜水艦に関するものを多く見ることが出来る。又、資料館建物に隣接する形で、かつて海上自衛隊で活躍・退役した潜水艦が展示されており、その中も順路が定めてられており拝見することが出来る。
内にしても外にしても、潜水艦の全容を見ることは滅多にない機会であるので、大変勉強になった。

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その後は呉市内にて昼食・広島風お好み焼きを食した後、帰路へとついた。

1泊2日という日程で、決して近くない距離ではあったものの、これ以上ない充実した研修となった。
企画して頂いた氏青の皆様、また当日お世話になった多くの皆様方に、改めて厚く御礼を申し上げる次第である。
尚、本年7月1日発行予定の「社報 不二山」第5号にて、当日参加された氏青会員の紀行・感想文を掲載予定である。
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冨士浅間神社 節分祭を御斎行

去る2月3日、節分となるこの日には、当社の氏子青年会(氏青)毎年の恒例事業として、氏青主催により節分祭が斎行・開催された。
当日はまだ雪も残っており、氏青の方々により節分祭の準備と並行して除雪作業などが行われた。
御礼を申し上げる次第である。
節分はいわゆる旧暦の大晦日にあたり、翌日の立春を新しい年の始めとするものであり、日本古来からの民俗的風習である。新年(立春)の前日(節分)に豆を撒いて邪気を祓い、清らかな状態で新年を迎えるというものである。
尚、皆様御承知の通り、現在は暦が違うために二十四節気などと同様にズレているのである。

当日の午後4時半から、先ずは社殿にて祭典を斎行した。
氏子から選出された年男・年女の方、神社総代、氏子青年会の御参列の下、厳粛かつ滞りなく斎行された。
そして、午後5時からは社殿前にて福餅撒き・福菓子撒き・豆撒きが開催された。
社殿前には開始時刻前から子供を中心に多くの参拝者が集まり、いまかいまかとその瞬間を待っていた。
定刻になり、年男・年女皆様のそれぞれの挨拶が終わったのち、盛大に開催された。
当初は休憩を挟む予定であったが、予想以上に多く撒き過ぎたため、そのまま続けるというハプニングがあったものの、全体としては円滑に実施された素晴らしい節分祭となった。

又、この節分の日には、氏子の家の御代表の方が神社にお参りし、社殿や末社などに豆を撒き、「鬼は外・福は内、鬼の目をぶっつぶせ」などを各々声をあげながら、神社の清浄を祈念する風習がこの須走地区にはあり、本年も多くの方に豆をお撒き頂いた。

改めて、御奉仕頂いた氏子青年会の皆様、当日御参列頂いた年男・年女の皆様、神社にお参り頂いた皆様の今年1年の御多幸御隆昌を御祈念申し上げたい。

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プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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