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1月斎行祭典の御報告

【歳旦祭 御斎行】
去る1月1日元旦、氏子総代はじめ地元関係団体様多数御参列の下、午前11時より歳旦祭を斎行した。
歳旦祭は、元旦祭とも呼ばれ、年のはじめを祝い、1年の安全無事などを記念する祭典である。
全国の神社でも同様に行われ、中には年越しの瞬間から斎行される神社や、年越し前後には除夜祭を、日が昇ってから歳旦祭を行うなど、神社により形態は様々である。

本年は例年に比べると珍しく、雪に降られないまま年末年始を迎え、比較的暖かい中での祭典となった。
社殿前には権禰宜により奉製された三猿の大絵馬が設置され、新年の訪れに華を添えた。
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【元始祭 御斎行】
去る1月3日、氏子総代参列の下、午前10時より元始祭を斎行した。
元始祭は、天皇の位の元始を言祝ぐ祭典であり、皇室の弥栄を祈念する。戦後直後まではこの日も「元始祭」という祝祭日であったが、現在では宮中や全国の神社で祭典を執り行う形となった。

本年は、暦の関係でこの日までが年末年始休暇という方々が多く、また例年に比べると天候にも恵まれ温かい日が続いたことから、多くの方々に初詣・参拝をして頂いたように見受けられ、神様もお喜び戴いているものと感じる。
これにより、一層の神様の御稜威(御加護)を頂き、御縁のあった皆様の益々の御隆昌・御多幸へのお導きになることを御祈念申し上げる次第である。


【どんど焼き】
去る1月14日、須走地区世話人の方々により、どんど焼きが行われた。
正確には当社の祭典ではなく、どんど焼きに使用するための小屋を建てる場所を貸しているだけである。
しかし、この小屋は須走地区2箇所にある道祖神像の場所に建てられ、1つはバス亭・須走車庫前の下宿、1つは神社前の上宿とと呼ばれる。
須走地区のどんど焼きでは慣習として、三つ又の木の枝を用意してその先に団子を付ける(=3つの団子が必要)そして、正月飾りを燃やす会場に行くまでに、上宿・下宿に寄り、それぞれの箇所で三色団子を1つずつお供えし、そのお返しに子供よりお祓いを受け、お汁粉を頂き、そして会場にて自分で最後の1つを焼いて食べ、1年の無病息災を祈るというものがある。
一風変わった慣習であり、現在では近くの宿だけで行う方も少なくない。
そのような伝統もあるのだと知って頂き、次の機会にされてみてはいかがだろうか(下写真は上宿の様子)
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12月斎行祭典の御報告

【高尾祭 御斎行】
去る12月1日、須走地区高尾講主催により高尾祭が午前6時より斎行された。
これは、境内末社の1社・社護神社にて斎行される祭典であり、現在では例祭としても行われている。
社護神社は6社の神社が合祀されており、そのうちの1社・穂見神社の祭典である。
高尾祭は、沼津市から御殿場市・小山町など、静岡県東部の駿東地域にて行われている祭典であり、それぞれの地区や神社によって斎行・開催されている。
かつては12月1日に祭典が行われていたが、現在では休日との兼ね合いから、日を多少前後して行われることも少なくない。
その中で、須走の方々には伝統を尊重して頂き、12月1日未明・午前6時より斎行となっている。
高尾祭はいわゆる商売繁昌の祭典であり、その勧請元となる山梨県南アルプス市の高尾山・穂見神社に由来していると伝えられる。穂美神社は商売繁盛、資本金授与、養蚕の神社などの神社として、地元近隣だけでなく長野・東京などの遠方からも厚い信仰を集められている(下写真は、初夏の様子)
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【恵比須大国社祭】
去る12月1日、氏子総代参列の下、恵比須大国社祭が午後2時より斎行された。
奇しくも前述の高尾祭と同日の斎行となったが、こちらは旧11月20日に斎行するとされているため、偶然重なったためである。
こちらの祭典も商売繁昌を趣旨としているが、年1回の例祭でもある。
元々は裏神様として社殿裏にお祀りされており、その御分霊が小山町・富士紡績の企業内神社として現地でお祀りされていた。
その後、諸事情により御分霊が当社にお帰り頂くこととなったため、新たに現在地に新しいお社を建てて末社として御鎮座頂くこととなった(下写真は今冬の様子)
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【天長祭】
去る12月23日、祝祭日・天皇誕生日に、氏子総代・氏子青年会参列の下、天長祭が午前10時より斎行された。
この祭典は、今上陛下の御誕生日をお祝いし、平成の御代を言祝ぐ祭典として、全国の神社にて斎行される。
尚、この日にはいわゆる三権の長・国務大臣方を招いての祝宴、各国大使を招いてのお茶会が開かれるとともに、皇居にて一般の方々がお祝いに訪れることの出来る一般参賀も行われます。

11月斎行祭典の御報告

【明治祭御斎行】
去る11月3日、当社では氏子総代参列の下、明治祭を午前9時より斎行した。
この祭典は、祝祭日・文化の日に行われるが、元々は明治天皇の御誕生日であり、かつては「明治節」と呼ばれた祝祭日であった。
明治天皇は、明治維新前後の日本国近代化のために先頭となった御尽力された。そうした時代背景を持つ明治時代を念頭に、益々の文化の興隆・発展を祈念すべく行う祭典が明治祭である。
全国の神社でも同様の意義を以て祭典が行われている。

【大祭・新嘗祭御斎行】
去る11月23日、氏子総代はじめ地元関係団体様の多数の御参列の下、午前10時より新嘗祭を斎行した。
この祭典は、収穫物を神前に供え、神々に農作物の収穫や五穀豊穣、また地域の諸産業の発展・振興を感謝するための祭典である。2月17日斎行「祈年祭」と対になる祭典であり、いわゆる収穫祭に当たる。
戦前よりこの日は新嘗祭という祝祭日であったが、戦後は名称が「勤労感謝の日」となるものの、趣旨としては大きく変わることなく現在に至っている。
又、例年は農作物の無い地元柄、神前に収穫物を供えることはほとんど無かったが、昨年より地元小学校児童5年生が体験が体験学習により育てられた稲穂が奉献され、本年も先生方や世話人様のお力添えを賜り、供えることとなった。
改めてこの場をお借りして、感謝を申し上げる次第である。
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プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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