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令和3年2月の祭典報告(節分祭・紀元祭・祈年祭・天長祭)

コロナ禍の終息の見通したが立たない中で、この2月には以下4つの祭典を斎行致しました。
いずれも例年に比べればやはり人出を減らす方針であり、こうした状況を大神様には何卒御承知頂き、1日も早い疫病流行終息に向けての御力をお授かり頂きたいと願うばかりであります。

【節分祭】
暦の上で立春は1年の始まりであり、その前日が春の節分となり、暦の上での大晦日となります。
この日に豆を撒いて鬼・厄を払い、清々しく新年=春を迎えるというものです。
当社では、年始に供えられた鏡餅をつきなおし、この日の朝から授与しております。
とくに、この地域では家長などが神社にお参りをし、境内各所に豆を撒いて邪気退散が行われます。
その御礼も兼ねての、お餅授与であります。
又、例年には当社氏子青年会により、年男年女による福もち撒きも行われていましたが、残念ながら今回は中止とし、祭典のみと致しました。

【紀元祭】
初代・神武天皇が奈良・橿原の地で即位したことで日本建国となり、その即位日が2月11日であります。
この日は明治時代に暦などの計算を以て、定められた日です。この記念すべき日に、国の中心・象徴である皇室の繁栄と国の益々の発展を祈る中祭であります。
当社では例年、氏子総代・氏子青年会参列により斎行し、本年も同様であります。
尚、当社氏子青年会はこの日に発足致しました。

【祈年祭】
日本の主食であるい米をはじめとする五穀の豊穣と、国民それぞれが携わる産業の振興、そしてこれらを育成・従事する人々の安全無事を祈念する大祭です。
当社では例年、地区の各種団体を来賓として御参列頂き斎行しておりますが、新型コロナ感染予防対策のために、氏子総代と一部の来賓に限って参列頂き、斎行致しました。

【天長祭】
現在の天皇陛下=今上天皇のお誕生日に際し、奉祝の意を表すと共に陛下の長寿と益々の御健康を祈る中祭です。
上皇陛下は12月23日でありましたが、今上陛下は2月23日となります。
又、富士山周辺地域では語呂合わせによる223(ふじさん)の日であり、行政関係の団体等では富士山に関するイベントなども行われております。

令和の2月は天長祭も加わり、月4回の祭典・約1週間おきずつというお祭り月であり、当社では最も祭典が多い月であります。
コロナ禍により規模縮小も余儀なくされている祭典もありますが、その中でもしっかりと大神様に祈りを聞き届けて頂き、国家・皇室に通じて皆様の御多幸御健勝が導かれますことを、改めて御祈念申し上げます。
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令和3年1月の祭典報告(歳旦祭・元始祭)

既に節分を過ぎておりますが、新年あけましておめでとうございます。
年始の挨拶から、ブロク再開記事を書かせて頂きます。
今回は、まず1月に斎行しました、2つの祭典について御報告させて頂きます。

【歳旦祭】
新年を祝い皇室の弥栄と国の益々の発展を祈るとともに、氏子崇敬者と地域社会の平和と繁栄を祈るべく、元旦に行われる中祭です。
当社では例年、地域各種団体の御参列を頂く祭典であります。
しかしながら、本年は新型コロナ感染予防対策を念頭に、氏子総代と一部の来賓に絞っての斎行と致しました。

【元始祭】
年頭にあたり。皇位のはじまりと天皇陛下の弥栄、国の益々の発展を祈り1月3日に行われる中祭です。
全国の神社はもとより、宮中においては天皇陛下自らが主宰される親祭であります。 
尚、戦前では祭日でありました。
当社では神職のみで祭典を執り行い、滞り無く執り修めました。

【コロナ禍における対応】
令和3年にかかる年末年始は、皆様御存知の通りにコロナ禍のもとで進められたものであり、当社としても手探りの中で迎えることとなりました。主な対策については、次の通りです。
・社殿の鈴緒撤去 ・おみくじ処テントの設置と出入口への消毒剤 ・御祈祷時の人数制限
・御朱印の書置き対応 参道の交通整理(一方通行)と規制線の設置 など 
御参拝の皆様には御協力を頂きまして、大きい混乱やコロナ発生なども無く、無事に終えることが出来ました。
又、その前後では12月1日からの早詣りや、2月3日までは初詣などという取り組みが、全国各所で行われておりましたが、当社では特別意図することなく、例年もやや早めに縁起物を準備する以外は例年通りに対応させて頂きました。

当社にとっては諸事例年と大差無く過ごした年始でありましたが、年越においては蕎麦や甘酒の振舞を中止にするなど、人の賑やかさという点では寂しくもありました。

かつての年始、かつての生活に1日も速く戻るべく、重ねて疫病退散の祈りにも努めて参ります。

ブログ再開について(お知らせ)

平成25年に最初の記事を投稿して以来、平成28年夏頃まで続けておりましたが、その後長らくは中止しておりました。
意図があってそうしたわけではなく、Facebookやtwitterに重きを置いたところ、自然とそうなっていたというのが正直なところであります。

このほど、当社公式ホームページをリニューアルするにあたり、再開を決めた次第であります。
内容としては日々のFacebook、Twitterと比べても代わり映えしないかと思いますが、より詳しく書く事で、神社としての祭典記録=社務日誌としても活用していきたいと考えております。

そうした意味で固い内容になってしまうかもしれませんが、御覧頂ければ幸いでございます。
改めて、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
プロフィール

富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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