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5月斎行祭典の御報告(例大祭を除く)

【藤原光親卿慰霊祭=按察使(あぜち)祭 御斎行】
去る5月27日、静岡県と山梨県の県境、矢筈山・篭坂峠に於いて、鎌倉時代の公卿・藤原光親の495回目となる慰霊祭を現地付近にて、区長会主催・氏子会世話人により準備が進められ、小山町・須走の各関係団体様御参列の下、恙無く斎行された。
かつては、慰霊碑のある場所まで約30分をかけて登り、そこに祭壇等を設置して現地で斎行していたが、諸般の事情により少し前より慰霊碑から下った場所に築かれた石塔のある広場にて、現在は遥拝形式にて斎行している。
当日は予てより雨天の恐れがあったが、幸いにも雨は明け方までには上がり、問題無く現地で斎行することが出来た。この祭典は区長会主催ではあるが、地元の人が有志で加入する当社氏子会の会員が輪番にて世話人を担当することになり、本年も5名の方に御助力を頂いた。この場をお借りして、改めて深く感謝を申し上げる次第である。

藤原光親卿は、按察使と呼ばれる朝廷の官職に就いた方で、仕事の内容は主に地方行政の監督である。
卿が生きた時代は朝廷ではなく鎌倉幕府の治世であり、討幕を企てた後鳥羽上皇(いわゆる承久の乱)の側近の1人であった。
卿は討幕は時期尚早を諌言を申し出たが聞き入れられず、勅命(天皇からの命令)として当時の幕府最高権力者、執権・北条義時の追討のための宣旨を草案した。
尚、後にこの事実を知った義時公は、聡明な人柄なども合わせて、その死を深く嘆いたとされる。
承久の乱では幕府に敗北し、卿は捕えられる。その後、京都へ護送中に、矢筈山にて処断されたと伝えられる。
当時より地元の人によって厚く供養・慰霊がされ、その遺髪は小山町内のある寺院に納められいる。
明治期に地元有志により慰霊祭が執り行われることとなり、以後現在に至るまで5月27日を当り日として祭典が行われている。

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富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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