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新嘗祭・高尾祭の御斎行

冨士浅間神社 新嘗祭を御斎行

旧年11月23日、当社では役員総代・氏子青年会・地元関係団体など、総勢50名余の御参列の下、斎行された。
新嘗祭は、2月17日に斎行される「祈年祭」と対になる祭典であり、その年の五穀豊穣・産業発展などを神様に感謝する祭典である。いわゆる収穫祭としての性格を併せ持つ。
戦前戦中までは新嘗祭として国民の祝日であり、学校でも神社への参拝が行われていた。
戦後は、GHQは神道(神社)が国家の管理から離れたこともあり、勤労感謝の日として変更・定められた。
そのため、休日としての明治時代から続き、他の休日と比べても長い。

また、皇室・宮中に於かれても同様の祭典が行われ、天皇陛下が天神地祇・八百万の神々に稲穂を奉献して、その恵みに感謝をされる。

祭典は、午前10時より社殿にて行われた。天候も崩れることなく、祭典は無事滞りなく執り修められた。

晩秋の社殿


境内末社 社護神社・高尾祭を御斎行

旧年12月1日、当社境内末社である社護神社にて高尾祭が斎行された。
この祭典は、商売繁昌を祈願する祭典であり、須走にて商業を営む方々が「高尾講」を組織し、当番で世話人を回し、講員が参列する。
当社の社護神社は、昔は境内に点在していた境内末社それぞれを1社に合祀する形にされた社であり、総称して社護神社と呼称するが、高尾祭はその中の1社・高尾神社の祭典である。
高尾神社の御祭神は穂見命であり、一般的には保食神という五穀を生み出した神であり、産業振興に通じる神でもある。
この御祭神がどこの神社から御分霊されてきたのかは不明であるが、隣接する山梨県には多くの穂見神社が点在しているため、この中のいずれかではないかと考えられており、中でも南アルプス市・穂見神社が有力視されている。

当日は早朝6時に祭典が始まり、講元はじめ総勢20名弱が参列した。

高尾祭・社護神社
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富士山東口本宮 冨士浅間神社

Author:富士山東口本宮 冨士浅間神社
桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず人々恐れおののいて仕事も手につかない日々が続いた。

依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うために富士山東面・須走の地(現在の社地)に斎場を設け、祭事を行った。

すると、翌年4月初申の日に噴火がおさまった。そして、平城天皇の時代・大同2(807)年、その鎮火祭の跡地(現在の社地)に鎮火の御礼のため神を祀ったと伝える。

当社は、富士山須走口登山道の起点となる「富士山東口(=須走口)本宮 冨士浅間神社」である。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬を集めている。

御祭神は、鎮火・子授・安産・子育の女神・木花咲耶姫命。
合わせて、大己貴命・彦火火出見命の2柱を祀る。

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